陽明山一帯は、日本時代には「大屯国立公園」の予定地であった。当時その範囲は、七星山、大屯山系および観音山が含まれていた。この計画は残念ながら第二次世界大戦の勃発で頓挫した。1963年、交通部観光事業小組が当時の台湾省公共工程局に企画を委託して、陽明山公園および周辺の七星山、大屯山、金山、野柳、富貴角などの北部海岸線を含めて、「陽明山国家公園」の設立を目指した。総面積は約28,400haと広大なものだったが、当時はまだ国家公園法が制定されていなかった。 1981年になって、何應欽将軍の提議によって、関連機関が研究を進め、1985年に正式に陽明山国家公園設置計画が公告された。そして1985年9月16日と翌年の3月13日に相次いで国家公園管理処および警察隊が開設されて、各方面の経営管理業務がスタートした。