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草山菁礐の再現

陽明山国家公園には「菁山路」、「平菁街」等の道の名前があり、また「頂菁礐」、「中菁礐」、「下菁礐」等の地名もあって、さらに「菁礐」というバス停もあります。これらの地名の由来は、陽明山早期の人々が行なっていた藍染産業と関係があります。「菁」とは「大菁」(藍染の原料)を指し、約19世紀初期に台湾北部に伝わり、陽明山の渓谷で広く栽培されるようになった藍染原料に使用する植物です。「礐(読み:チュエ)」とは「池」の意味で、「菁礐」とはすなわち山上の渓谷の水源で、石の塊を置いて構築した円形または方形の大菁植物を浸すために使用された池です。大菁の浸漬後、発酵、沈殿、濾過を経て、泥藍が集められ、藍染染料の製作に使用されます。

藍てんまたは藍汁は主に大菁植物を精錬したもので、藍染の重要な原料です。1880年の台湾が輸出していた重要な産業で、大菁(リュウキュウアイ、山藍とも呼ばれる)の栽培は、早期大屯火山群の周辺が主で、後に中北部の山へと広まりました。大菁は土地がやせた環境に適応する植物で、毎年秋には薄紫色の花が咲きます。中国西南部、インド東北部等が原産で、19世紀初めに大菁の栽培と製藍の技術がもたらされました。大菁は適宜に無性の根茎で繁殖でき、毎年少なくとも二期収穫が可能です。人工染料の合成が行なわれるようになって、藍染産業は徐々に没落しましたが、百拉卡分離歩道や魚路古道、大屯渓古道等と各渓流流域の岸辺に多くの大菁植物を見ることができます。
早期の人々は藍てんまたは藍汁を製作するために、通常大菁の栽培場所付近の水源があるところに「菁礐」池を設置していました。各菁礐池は浸漬池と沈殿池を少なくとも1組含み、池のそばには水源を引き込む潅水口と、流水孔および沈殿池の上層の上澄み液を排出するための排水口がありました。一般に浸漬池は円形で、直径が約1.8~2.7mあり、池の囲いは石で、表面に石灰が塗られ、通常各組に4つの浸漬池がありました。沈殿池は浸漬池よりやや低い位置に設置され、各組の菁礐には2つの沈殿池がありました。

一般に菁礐の横には工具置き場と作業員の休憩所として使用される簡易な「菁寮」と呼ばれる建物が構築されました。現在陽明山には先人が残した「菁礐遺跡」があり、平等里の平林坑渓と鹿角坑渓、菁礐渓および大尖後山、竹子湖、木屐寮等の場所が含まれます。先人の菁礐での藍染染料製造過程においては、まず藍葉(大菁)を摘み取りますが、通常は早朝の朝露がついているときに摘み取り、摘み取った後は新鮮なときに近くの浸漬池の中に入れ、渓流の水を引き込み、発酵させます。通常1つの浸漬池には約100余kgの大菁を入れることが適しています。

大菁は一般に1~4日浸漬しますが、季節と天候によって決まります。浸漬後の菁礐池の池面には紫色の油分と濃い藍色の泡沫ができ、藍色色素が出たことを示します。このとき浸漬して黄緑色になった腐葉を掬い取り器で掬い取ります。浸漬池内には大菁を浸漬して残った藍液が残り、このとき藍建て作業を行なうことができます。藍建ては約4~5人で同時に撹拌器を使い、池の中の藍液を絶え間なく撹拌し、このとき60kgの大菁葉に対して6斤の消石灰の割合で加えます。消石灰を加えた後、撹拌を続けると色素がすでに消石灰と充分に結合して泡沫が藍色から白くなり、このとき撹拌を停止します。
藍建て後、浸漬池の藍液を下方の沈殿池に流入させ、沈殿池の藍液を半日または一日静置します。このとき泥藍がゆっくりと下層まで沈殿し、上層の半透明の深い褐色の液体を排水口からゆっくり流出させます。通常は泥藍(藍澱)を菁礐から取り出した後、余分な水分を自然に滴下させ、翌日朝泥藍を運ぶための菁藍竹籠にアロカシアの葉を敷いてから泥藍を入れ、藍業者へ運んで販売します。
通常、菁礐で製作を終えた藍てんでは直接染色することはできず、木灰水または水酸化ナトリウムのアルカリ性溶液で溶解させてから、栄養剤または還元剤を使って水溶性の染液に還元すると、染色が可能になります。藍染に使用する布も純棉の布が必要であり、染色時に布を藍染液の中に入れて、徐々に染色し、希望の色の濃さになったら止めます。染め終わったら酢酸液の中に約5分間浸し、色素を酸化して発色させた後、水で洗い流し、布の染色が完了します。

現在園区内には先人が残した「大菁」作物と「菁礐」遺跡がまだ多く残っており、これらはすべて先人がこの土地に生きて奮闘した歴史の証であり、また陽明山国家公園の重要な資産でもあります。